例のアレの初読後感想

またしてもゲキボウのコマに入った感じがある今日この頃です、こんばんは。でも、ブジに出張中に読み終えたアレの感想がぐるぐると頭をめぐり。一度布団に入ったが、起きだしてきた次第。
今、みんちゃんが読んでますが(もう、下巻に入った様子)、近いうちにもう一度咀嚼して読みたい本でもありました。多分、また違う印象や発見があるように思う。ちょっと散漫で感情的な部分が強いし。とりあえず初回の読後感として、記しておきます。フォント色を白にしているので、オーケーな方は反転を。すいません、キーワードは見えてると思うけど、根本には触れてないと思うので、ご容赦を。


では、スタート。
今回の作品は、自分にとって「ねじまき鳥」や「世界の終わり〜」に近いくらいの読後感、インパクトがありました。それから、明らかにこれまで自分が読んだ直後に感じた「手触り」みたいなのが違ったんですね。これは読み手としての自分の価値観やらその他もろもろが関わっているとおもいます。
これまでの村上氏の作品を楽しむときには、「特殊で特異な、ここではない何か」な物語のなかから、メッセージを読み取って考えこんだり、共感したり、自分に投影したりといったことがあった。羊シリーズも、世界の終わりも、ねじまき鳥も。カフカもサバ(あれ、アジか?)が降ったしね。そういうのを楽しんで、自分の中で大事にしてたんだとおもう。

でも、今回の話は、確かにいつものムラカミワールドなんだけど、断然リアルだったなと。いや、リアルという言葉がきっちりはまるのか分からないけど、ワールドに浸って単に楽しむよりも、もっと「自分のがわ」で考えなきゃって思わされたのです。これは、いくつか読後に印象に残った部分があったなかで、一番にあがるのが『青豆がやっていたこと、そして婦人がやっていたことは、どうだったの?』ってことだったんです。

あたしは基本的に単純な人間で(笑)、ああいう「あちら側におくるひと』に怒りを覚えるし、特に性的な部分については、かなり激しい感情をもってしまう。「獄中引き回しじゃ!」とか、遠山の金さんみたく(←金さんはこんなこと言わないって?)飲みの席だと絶対いうね(笑)。一方、それと反するようだけど「私たちは正しいことをしている」といい切れるんだろうかという気持ちもわいてくる。それって、今回出てきた(複数の)宗教集団と、どこか、そして何かが一緒なのではないかと。また、考え方は逆になるかもしれないけど、青豆はそれを受け入れて、引き受けて、最後のシーンにつながるのだなあ、とナットクもしたりするんです。そして、あの男の位置づけや青豆の会話(治療)場面も、自分の中の勧善懲悪な「金さん」は、『そんなのってどうよ?』と思いつつも、これはこうあるべきなのだ、とも。そんなふうに、ムラカミ氏は落とし込むように書いてるんじゃないかな。

と、この部分にあまりにひっかかってるのは、昨今のニュースから全く思いもよらないひどいことが身近に起きるかもしれないってことと、正しさの判断ってなんだってことを考えているからかも。前者は婦人の立場に近いと思うが、家族や、友人や仲間たちが、何かとんでもない理不尽なことにあったら、自分はどうするんだ、ということ。これは光市母子殺害事件が自分のなかで印象的だったことがあるかもしれない。
そして後者。正しい・・・っていうのとはちょっと違うなあ、と思っていたら、今日どうしても気になって「約束された場所で」をざざっと読み返し、河合先生との対談をじっくり読んで、ああ!と思った。正しいというより「善悪」なんだな、と。ぴかーと、クリアになりました。あたしが今回の作品を読んで、ひっかかってたのはこれだなあと。
この本、初版で読んだので、もう11年前。25歳で、大阪にいて、一応社会にはでてるけどモノを知らないし知りたくなかったかもしれないな。当時それほど響かなかったものが、今はよく分かるってのは遅すぎる成長か。はたまた、別の要因があるのかな。手元にある方は、ちょっと対談部分だけでも読み返してみてね。

はてさて、えらい長いことひっかかった部分についてばかり書いてきたけど。他にもいくつかポイントはあるんですけどね、例えば青豆と天吾の性別がが逆(立場はそのままに)だったら、こうは収まらなかったんでは?とか、ふかえりと交わる必要ってあり?(笑)とかさ。

いずれにせよ、こんなに集中して読書したのは久しぶりです。上記のダラダラ感想以外の、例えば手法とか構成とか、また手落ち感がある点については、よしてるさんがブログに書かれていたのとまったく同意見です。やっぱり、これ続きますね。


ふいー、長々書いて、夜も更けたよう(笑)。これでグッスリ眠るぞ。えっと、しばらくコメント欄にはネタバレ以外でお願いしますねー。メールや飲みの場ではもちろんオッケーです。